ホーム 建築構造を理解するために 特集東京駅の赤レンガから:夏休み てく・テク 山手線 +

夏休み てく・テク 山手線 +
=近代のはじまりを感じる小旅行 Part 2=

 

1.東京駅の赤レンガから

東京駅丸の内側の外観は美しいレンガの建物です。2年前の夏の特集(「夏休み てく・テク 山手線」)記事取材の際に山の手線の駅を廻り最後に丸ビルから、この美しい東京駅を観て感慨深く思った建物です。東京にはレンガの建物が以外と少ないようです。1923年の関東大震災で多くの建物が崩壊し、それ以来レンガの建物は耐震性が弱いとされ激減したのです。そんな中、この東京駅が震災で壊れなかったのは何故だろうと思いながら、ふと以前のテレビで筆者の故郷群馬の富岡製糸が世界遺産の登録に向けて活動しているという番組を思い出しました。

そこで今回は山手線を飛びだし、東京駅から上越新幹線で高崎駅まで約1時間、群馬のレンガの建物を中心に歩いてみましょう。まずは富岡市にある富岡製糸工場。日本で最初の官営工場です。

富岡製糸の赤レンガ

写真1東繭倉庫
写真2東繭倉庫の中央部アーチ部分
写真3繰糸工場
写真4繰糸工場の内装
写真5新町紡績工場
「よみがえれ!新町紡績所の会」のHPより

正門から正面に見える東繭倉庫(写真1)を見てみましょう。建物は柱・梁・屋根は木造。壁をレンガ造としています。柱は尺角(約30cm×30cm)の杉で、足元は石柱(50cm×50cm)が地面から90cmの高さまで埋め込まれており、その石柱に穴を彫ってその中に木の柱が埋め込まれています。2年前の夏の特集で説明した柱脚固定(「柱脚固定」部分URLリンク)となっていますね。この建物外周のレンガが耐力壁になり、以外と耐震性には優れているように思われます。

写真1の中央部、中庭に通じる通路の上が円弧のようになったアーチとなっています。写真2はその部分に近づいて撮影したものですが、「キーストン」と呼ばれるアーチの中央の石に竣工年の明治5年と彫られています。なんと、築134年です。それとは思えないほど美しく建っていますね。でもこの「アーチ」は「ライズ」とよぶ、中央の盛り上がった部分の高さが小さい気がします。このような場合、あまり大きな重さは支えられません。多分、このアーチはアーチ部分の壁の重さのみを支えているだけで、どちらかというとデザインが優先したのかもしれませんね。アーチの上にある2階以上の床や床にかかる重さは、実際の所、木造の柱や梁が支えているのでしょう。

写真3は繰糸工場です。この建物も木造+レンガの構造。但し、工場らしく、柱間距離12m程の屋根を洋小屋トラスで支えています。写真4のように内装は白ペンキで、明るく広い空間がこの建物の特徴です。この建物も本当に130年も経っているのかと思うほど美しいです。また、この建物が建設された当時、日本は和小屋トラスが主流であったはずですが、日本の木材で洋小屋トラスを作るとは、やはりフランス人の設計だと感心してしまいます。

鐘紡新町工場

写真5は、高崎市新町にある鐘紡新町工場です。「よみがえれ!新町紡績所の会」のHPより写真をお借りしました。こちらは、富岡からは少し離れていますが、富岡製糸の5年後明治10年に建てられた紡績工場です。この建物も富岡製糸工場と同じ官営工場であったらしいです。

富岡製糸で出る屑糸や製糸できない屑繭を紡績して絹糸(紡績絹糸)をつくる工場だったそうです。古い建物ですが現在は鐘紡フーズの工場内であるため、今は、簡単に入れません。外から見るかぎり、これも美しい建物です。やはりその昔から群馬は織物が盛況であったことが伺えます。

上毛倉庫

写真6上毛倉庫様建物外観

次にご紹介するのは、写真6の群馬県の県庁所在地前橋市にある赤レンガの倉庫です。前橋駅のほど近くに建つ上毛倉庫です。明治時代は、生糸を担保に銀行からお金を借りることが出来るほど生糸は資産的価値のあるものでした。この建物は銀行がその重要な資産を保管する目的で建てられた建物です。木造が主流である日本の建物は火災に弱いため、耐火性に優れたレンガ造で造られたのでしょう。富岡製糸工場があまりも有名なので、前橋はあまり知られていませんが、実際は、当時の生糸産業の中心は前橋であったらしく、レンガ造の建物が多く残っています。第二次世界大戦中、前橋は空襲されましたが、火災に強いレンガ造はそれを耐えてそのまま残っています。

厳しい時代を経たレンガ造の建物を見ていると有名な童話『三匹の仔豚』の話を思い出します。イギリス童話であり、レンガ造が一番安心であるという童話です。この童話がもし日本で作られていたとしたら違う話になっていたかもしれません。イギリスと日本は自然災害や風土に違いがありますね。狼が家を吹飛ばすという、いうならば風害ですが、もしかすると狼が跳ねて地面を揺らす、という地震を考えたかもしれません。当然そうなると、関東大震災で多数崩壊したレンガ造ではなく、木造を作った2番目の仔豚が一番賢いとなります。

明治時代初期、新橋―横浜間に鉄道が通り、その後主要な地域に鉄道が建設さて行きました。その中でも高崎線は意外と早い時期に開通しています。殖産興業の時代にあって外国からの貨幣を獲得するものとして生糸がその中心にあり、その一端を群馬の生糸産業が担っていたことと思います。これらの建物のなかには日本の近代化の歴史が詰まっています。維持管理は大変かも知れませんが、いつまでも建物が存続できるように見守って行きたいと思います。


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